この地方は、古代“水沼の県”と称しています。
水沼のいわれは、この地方が当時、沼地であったことからいわれたものらしく、そのためか現在でも各地の遺跡から貝塚等が多く出土しています。水沼が三潴に変わったのは鎌倉時代の末期といわれています。
当地方は久留米有馬藩に属していました。明治4年の廃藩置県により、“三潴県”は“福岡県”に合併しました。明治22年、町村制が施行されると同時に犬塚、三潴、西牟田の各村が誕生し、昭和30年7月、犬塚村と三潴村が合併して三潴町が誕生しました。昭和32年、筑後市と境界変更により筑後市西牟田町の一部が三潴町に合併しました。
平成17年2月5日に三潴郡の3町のうち、三潴町と城島町が久留米市に合併して今日に至っています。